埼玉弁護士会は、10月2日、臨時総会を開催し、「自衛隊を憲法に明記する憲法改正に反対する総会決議」を可決しました。
第1 決議の趣旨
自衛隊を日本国憲法に規定することを内容とする憲法改正案については反対する。
第2 決議の理由
1 自衛隊明記案の発表
2018年3月25日,政権与党(自由民主党)は,党大会において,憲法改正についての方向性を示した条文イメージ(たたき台素案)を元に憲法改正の議論を進め「憲法改正原案」を策定し国会へ提出することを目指すことを決定した。
その中で,憲法9条については1項及び2項をそのまま残した上で,9条の2として「①前条(9条)の規定は,我が国の平和と独立を守り,国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず,そのための実力組織として,法律の定めるところにより,内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。②自衛隊の行動は,法律の定めるところにより,国会の承認その他の統制に服する」という条文を加えて自衛隊を日本国憲法に明記するという案が示された(以下,これを「自衛隊明記案」という)。
しかし,日本国憲法の恒久平和主義・基本的人権尊重主義などの観点からすると,この自衛隊明記案には次に述べるとおりの重大な問題点が数多くあることを指摘しなければならない。
2 恒久平和主義の観点から
(1)恒久平和主義の意義
1928年の「不戦条約」は国際紛争解決のために戦争に訴えることを禁止し,国際連合憲章では「国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない」(同2条3項),「武力による威嚇又は武力の行使を,いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも,また,国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」と規定され(同条4項),国際紛争解決のための武力行使・武力による威嚇が禁止された。
日本国憲法の恒久平和主義,なかでも9条2項の戦力不保持規定は,これら不戦条約や国連憲章をさらに推し進めた規範であり,それは,人類滅亡に直結する核兵器の出現を受けた現代における国際紛争解決の指針として極めて先駆的であり,普遍的意義を有する。
そのような理解・確信のもと当会は,2008年5月24日開催の定時総会において,日本国憲法の恒久平和主義堅持等を求める総会決議を採択している。
(2)現行安全保障法制下の自衛隊と憲法9条2項
ア 現行安全保障関連法制下での自衛隊
集団的自衛権の行使を一部容認する2014年7月1日付け閣議決定により,従前の集団的自衛権に関する政府解釈は変更され,それを前提として2015年9月19日には新たな安全保障関連法制が制定された。
そして,2016年3月29日の同法制施行に伴い,現在の自衛隊には,「重要影響事態」における後方支援活動ないし「存立危機事態」における集団的自衛権行使に関わる任務が新たに付与され得ることとなった。
しかし,このような現行の安全保障関連法制のもとでの自衛隊は,従来の政府見解のもとで9条2項の「戦力」にあたらないとされてきた「自衛のための必要最小限度の実力」という枠組みを超えた組織に変貌したとみなければならない。それは,本邦外において集団的自衛権の名のもと他国軍隊の武力行使と一体化する活動までもが可能となった実力組織なのである。
そのような自衛隊が憲法に規定された場合,その規定と9条2項とは矛盾・衝突を来すこととなる。
イ 国民の「自衛隊」に関する意識
他方で,現在の国民の多くが認識ないし理解する自衛隊は,9条1項及び2項のもとで「専守防衛」に徹する必要最小限度の実力組織であり,その具体的な活動は,大規模災害時の救助・復旧支援活動や国連PKO活動における人道支援活動が主なものであろう。
しかし,そのような自衛隊の存在やその活動を認めるために,自衛隊明記案のような「自衛の措置・・・のための実力組織として・・・自衛隊を保持する」という規定をわざわざ設ける必要はない。
むしろ,自衛隊明記案にある「前条(9条)の規定は・・・必要な自衛の措置をとることを妨げず」との規定により,やがては,「自衛」のためであれば「戦力を保持」することも許され,「武力の行使を行える」という憲法解釈をもたらす可能性が高い。
そのような事態は,9条2項の戦力不保持の規範を空洞化させることとなる。
ウ 憲法9条2項の空文化・死文化
以上のとおり,自衛隊明記案のごとく自衛隊が憲法に規定された場合,「後法は前法を破る」という法の一般原則により,憲法9条2項の戦力不保持規定が事実上空文化・死文化することに繋がる虞が高い。
しかし,不戦条約から国連憲章に至る戦争違法化という国際社会の共通認識のもと,それをさらに進めて戦力の不保持まで規定した憲法9条2項こそが日本国憲法の恒久平和主義の核心条項である。
そうすると,自衛隊の憲法明記による9条2項の空文化・死文化は,日本国憲法の真髄ともいうべき基本原理である恒久平和主義を根底から覆すものである。
日本国憲法は,国民主権,基本的人権の尊重,恒久平和主義などの基本原理にもとづき成立したものであるから,これらの基本原理に反する改正はその限界を超える。
(3)したがって,自衛隊明記案は日本国憲法の恒久平和主義と抵触し改正限界を超えるものとして許されないといわねばならない。
3 立憲主義の観点から
(1)日本国憲法と立憲主義
日本国憲法は,基本的人権の保障を図るため権力を分立させ(41条,65条,76条),最高法規たる憲法に反する一切の法律や行政行為等を無効とする(98条,81条)。さらには,内閣総理大臣その他の国務大臣をはじめ権力分担者たる公務員に憲法尊重擁護義務を課している(99条)。
このように,日本国憲法は個人の権利・自由を確保するための権力制限を本質とする立憲主義の憲法である。
(2)安全保障関連法制を追認することになる憲法改正
しかし,憲法上認める余地の無いものとして従来の政府解釈ですら否定していた集団的自衛権の行使を一部容認する2014年7月1日閣議決定とそれを受けて制定された安全保障関連法制は,憲法に基づく統治を要請する立憲主義に真っ向から違背するものである。
現行安全保障法制下の自衛隊を憲法に明記する改正というのは,立憲主義違反の状態を先行させ,それをあたかも追認するかのような事態を招来させることになりかねないものである。
このような意味で自衛隊明記案は,立憲主義をあまりに軽んじるものといわねばならない。
(3)国家権力を縛る憲法を権力担当者自らが変えようとする問題点
現在,主権者である国民の間で憲法改正が必要という活発な国民的議論が起こっているわけではない。ましてや,自衛隊明記案の必要性を基礎づける具体的な立法事実について,これまでに十分な説明がなされたとは到底いえない状態にある。
後述のとおり,自衛隊明記案は,自衛隊を国会・内閣・裁判所と並び立つ憲法上の機関としようとするもので,国家権力を拡大させることを指向するものといえる。
このように,具体的な立法事実も曖昧なまま,国家権力の制限を本質とする憲法規定を当の権力担当者がその権限拡大の方向で変えようとすること自体が立憲主義の精神に悖るものといえる。
(4)自衛隊を憲法に規定することの危険性
日本国憲法に明記されている国家機関は,国会(41条),衆議院及び参議院(42条),内閣(66条),最高裁判所(76条1項),会計検査院(90条)のみである。それ以外の国家機関については,憲法により授権された下位規範である法律により規定されている。
現在は法律上の組織である自衛隊を憲法に明記するということは,現実の実力組織である自衛隊を国会や内閣,最高裁判所などと同様に,憲法上の機関に位置づけるということを意味する。
実力組織である自衛隊を憲法上の機関とするのであれば,その基本的な権限,実力行使の限界や統制についても憲法上明確にされなければならないはずである。しかし自衛隊明記案は,自衛隊に対する統制は「国会の承認その他の統制」とするのみで自衛隊の基本的な権限すらも規定されず,その権限は憲法ではなく法律の規定に委ねられている。特に,自衛隊明記案では「必要な自衛の措置」は憲法9条に妨げられないとされているため,自衛隊は「必要な自衛の措置」であれば憲法9条の制約を受けることなく様々に装備を拡充し,あるいは他国と共同した諸活動の展開も可能となると解釈し得る。
しかも,自衛隊の「最高の指揮監督者」は「内閣の首長たる内閣総理大臣」とされていることから,内閣総理大臣は,行政府である内閣の長であるとともに,憲法上の機関となる自衛隊の「最高の指揮監督者」であるということになる。これでは,内閣総理大臣は内閣と自衛隊という憲法上並び立つ二つの機関の長を兼ねることになり,内閣総理大臣の憲法上の権限が強大化し過ぎることにもなる。
そもそも,天皇に統帥権・軍編成権があった明治憲法と異なり,日本国憲法には行政の範囲を超えて外国の主権領域での実力を行使する「軍事」に関する権限を政府に認める規定がない。
このような日本国憲法の体系のもとで,自衛隊という実力組織を政治部門・司法府と並び立つ新たな憲法上の機関にするとともに内閣総理大臣の権限強大化に繋がるという自衛隊明記案は,権力制限を本質とする憲主義の観点から見て極めて危険なものである。
(5)以上のとおり,自衛隊明記案は立憲主義の観点からも極めて問題がある
といわねばならない。
4 基本的人権尊重主義の観点から
(1)基本的人権尊重主義について
大日本帝国憲法下で繰り返された戦争の惨禍に対する痛切な反省のもと日本国憲法は,憲法前文において,全世界の国民が恐怖と欠乏から免れ平和のうちに生存する権利を有することを確認している。
そのうえで日本国憲法は,すべての個人が「個人として尊重される」(第13条前段)ことを核心原理(個人の尊厳)とし,そのために基本的人権を侵すことのできない永久の権利として(11条,97条),基本的人権尊重主義をその基本原理のひとつとした。
(2)基本的人権,国民生活に与える影響について
同時に日本国憲法は,人権保障の限界を「公共の福祉」条項により規定しているが(12条,13条,22条,29条),自衛隊が憲法上の組織となった場合,その任務・活動は基本的に憲法に根拠を持つ国家機関の行為ということになるので,自衛隊の任務・活動に必要なことは「公共の福祉」に適うとして,国民の基本的人権を制限することを正当化する根拠として扱われる懸念がある。
例えば,自衛隊の活動を阻害するとして知る権利を含む表現の自由が制限され,居住移転の自由や職業選択の自由,財産権等の様々な基本的人権を制約する根拠として扱われる懸念がある。
また,自衛のために必要として現在以上に莫大な国家予算が自衛隊に割り当てられることへの歯止めが無くなり,その財源確保のために社会保障費等が削減され,増税がなされるなど国民生活にも大きな影響を与える事態が生じることも懸念される。
(3)自衛隊明記案は,基本的人権尊重主義という観点から見ても大きな問題
を孕んでいるのである。
5 憲法改正手続法の根本的な欠陥について
(1)日本国憲法の改正手続に関する法律(憲法改正手続法)は,2007年5月の成立時においても参議院で18項目にわたる附帯決議がなされ,2014年6月の一部改正の際にも参議院憲法審査会で20項目もの附帯決議がなされるなど多くの問題点が指摘されてきた。
(2)日本弁護士連合会も,その「憲法改正手続法の見直しを求める意見書」(2009年11月18日)において,①投票方式及び発議方式について,②公務員・教育者に対する運動規制について,③組織的多数人買収・利害誘導罪の設置について,④国民に対する情報提供について,⑤発議後国民投票までの期間について,⑥最低投票率と「過半数」について,⑦国民投票無効訴訟について,⑧国会法の改正部分について,という8項目を憲法改正手続法の改正すべき問題点として挙げている。
(3)また,国民投票の14日前までのテレビ・ラジオ等における国民投票運動としての有料意見広告放送に何らの規制が加えられていないことや最低投票率の定めがなされていないことについては,同法成立時の参議院での附帯決議でも法施行までに検討を加えることが求められていたが,現在に至るまで,これらの問題点の検討は全くなされてきていない。
これらの憲法改正手続法が包蔵する根本的な欠陥の放置は,主権者である国民が主権者として憲法改正の是非について判断するための前提を奪うに等しい。
(4)加えて,近時,自衛隊の南スーダンでの活動やイラク戦争当時の活動に関する日報について政府は,一旦は廃棄ないし不存在と国会で答弁したものの,その後,いずれの日報も防衛省内に保管されていることが判明したとして訂正するに至った。
このような事態は,国民の関心事で当然に開示されるべき自衛隊の様々な活動実態に関する情報の多くが隠蔽されている可能性のあることを示す。そうであれば,主権者である国民は,自衛隊の活動実態に関する十分な資料もないまま,上記のような問題点の多い憲法改正手続法のもと自衛隊明記案に関する判断を求められるということになり,一層極めて問題である。
(5)以上のように,主権者である国民が判断する前提を欠く現状の憲法改正手続法の根本的な改正や自衛隊の活動実態に関する情報が厳正に保管・開示されるという制度が確立されない限り,憲法改正発議のため衆参両院に自衛隊明記案を上程すること自体が国民主権の観点からして許されないといわねばならない
6 よって,基本的人権を擁護し社会正義を実現することを使命とする当会は,立憲主義と日本国憲法の基本原理が徹底・堅持されるべきことを求める立場から,決議の趣旨のとおりの意見を述べる次第である。
以上,決議する。
2018(平成30)年10月2日
埼玉弁護士会臨時総会