早稲田の杜法律事務所
弁護士 金子直樹
1 はじめに
平成26(2014)年11月に過労死等防止対策推進法が施行されてから、10年が経過しようとしているが、未だ過労死等はなくならず、長時間労働や職場でのハラスメント行為に起因するメンタルヘルス障害に関し、労災申請件数は高止まりの状態が継続している。私もこの間、過労死・過労自死事件を多数扱うこととなり、現状も複数の事件を担当している。これらの状況について、労災申請事件における現状と課題と題して報告させていただきたい。(末尾に、ごく簡単に安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求に関しても触れる。)本稿は、あくまでも当職の経験に基づくものであり、実際の全国的な傾向等を検討・調査の上での報告ではない点についてはご容赦願いたい。
2 相談・受任経緯
相談・受任の経緯は雑多であるが、インターネット経由(事務所ホームページ・弁護士ドットコム等)での相談依頼が相当件数を占めている。埼玉過労死弁護団や埼玉労働弁護団のホットライン経由での相談も一定数ある。相談者は、一番はじめに当職に相談したという方よりも、他の弁護士に相談したが難しいと言われたという方の方が多い印象である。なかなか労災手続等に自信がある弁護士に巡り会えないと述べる相談者の方もいた。(余談であるが、最近弁護士向けのセミナー広告で、知識ゼロからの労災事件をアピールしているのを目にしたが、その内容を見ると、労災事故等が想定されているようであり、過労死等事案やメンタルヘルス事案まで踏み込んだ内容ではなかった。)
当然のことながら、私も難しい案件については、「難しい」とアドバイスしているところではある。もっとも、通院歴無しでも精神障害の過労自死が労災認定された事件などについての経験を踏まえ、積極的に受任していく方向で相談を受けているからか、相談の相当数が受任に繋がっていると感じている。また、ありがたいことに埼玉の先生が相談を受けた事案につき、共同受任の形で一緒にやらせていただくこともある。
3 着手~証拠収集
事件を受任すると、まず証拠収集から対応することが基本である。死亡事案に関しては、遺族が十分な資料を有していることは極めて少ないことから、事業主側にいかに資料を出させるか、事業主側の資料をどう手に入れるかが課題となる。
事業主から貸与されたPC、携帯電話・スマートフォンなどがあれば直ちにデータ等を証拠化する、一定程度協力してもらえる同僚などがいれば、速やかに事情聴取を行うなど、事業主側からアクセスをブロックされる前に、相当な資料を確保しておく必要がある。
その上で、本人ないし代理人として、事業主側に対して資料開示を請求していくことになる。その結果として十分な資料を確保できない場合には、証拠保全手続による証拠収集を図っていくこととなる。
4 証拠保全手続の活用と課題
特に過労死等の死亡事案に関しては、ほぼ私は全ての事案で証拠保全手続を行っている。従前は死亡事案であれば、保全の必要性を強く問われることはなかったため、前項で述べた事業主側に対する資料開示請求をせずに、いきなり証拠保全の申立てをしたこともあった。
証拠保全手続は、土地管轄のみで事物管轄はないことから、検証先を管轄する地方裁判所のみならず、簡易裁判所にも管轄がある。被保全権利としては、安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求と設定している。疎明資料としては、戸籍類、死亡診断書、事業における負荷を示す証拠、遺族の陳述書などである。
検証物件は、もちろん事案によって異なるが、労働時間管理に関する資料(タイムカード等に加えて、使用PCのログイン・ログアウト記録、ドライバー等であればタコグラフなど)、日報、貸与PC・モバイル端末、そのメール記録、健康診断・ストレスチェックに関する資料などはどの事案でも要求しているところである。
これら証拠保全手続において、昨今の裁判所では、検証物件及び保全の必要性を相当厳格に解しているようであり、従前のように事業主側に資料開示を求めずにいきなり証拠保全を申し立てても、保全の必要性が足りないと指摘され、改ざん等のおそれを過度に要求する傾向にあり、加えて検証物件の内容や範囲も相当絞るようになってしまっている。上述のとおり、遺族においては、いかなる資料が事業主側に存在するか自体が不明であることがほとんどであるため、このような謙抑的な姿勢はあるべき証拠保全手続とはいえないものと思料しているが、裁判所かかかる傾向にある以上は、それを踏まえて、検証物件の記載方法の工夫、時期や対象を絞り、資料内容もできる限り特定することなどの対応が必要であり、保全の必要性に関しての書き方も、従前の事業主側との交渉経過等を踏まえた内容が必要である。
検証期日では、その場で検証物件を開示要求し、証拠化することから、代理人の立会いは当然のこと、その場で資料のコピーや写真撮影、データの取り出し等が可能な業者の同席が必須である。上記のとおり、裁判所は謙抑的な姿勢であることから、その場でもきちんと事業主側に資料を出させるために必要性を口頭で述べたり、出された資料の内容を精査したりするなどの対応が必要となる。その上で、検証期日での事業主側の言動等が調書化されることから、検証物件と開示資料の異同、資料の存否に関する事業主側の返答等をきちんと記録するように裁判所に働きかけを行う。
その後、業者から写真やデータ等の資料を受領し、裁判所に提出して、検証調書として、上記検証期日における事業主側の返答等や上記資料が一体となった証拠資料ができあがることとなる。
証拠保全手続の結果が、最終的な労災認定や安全配慮義務違反の認定に依拠した経験は枚挙に暇がない。例えば、顧客からのクレームに関して、労働者が事業主側から過酷な叱責を受けて自死した事案では、証拠保全手続で開示された録音記録が労災認定の決め手となった。或いは、過労死事案で、開示された交通費精算記録から交通系ICカードの番号を入手し、それを利用して23条照会で出入改札記録を獲得したり、事業主側から事後の任意開示を約束させることを調書化したりしたこともあった。
このように、本件で話題としている死亡事案では、証拠保全手続はほぼ必須の手続となっている。
5 労災申請・公務災害申請手続
(1)労災申請の流れ~代理人関与の重要性
①労災申請手続の流れ
労災申請において、死亡事案では、遺族年金等支給請求書及び葬祭給付請求書を作成し、管轄する労働基準監督署へ提出していくこととなる。
この際、支給請求書には、「災害の原因及び発生状況」を含め、記載内容について「事業主の証明」を記載することとなる。これは、申請者側が事業主に対して、「事業主の証明」を求めていくこととなる。ただ、通常は安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求等をおそれて、事業主側の証明が得られるケースはほとんどないといえる。そこで、事業主の証明を求めて事業主に連絡したが、これを拒否された場合、あるいは無視された場合には、その旨を記載した「事業主の証明が得られないことの上申書」を付して労災申請をすれば受理される。
(なお、死亡労働者の情報や死亡年月日、請求人に関する情報以外の記載(労働保険番号、平均賃金)については、「事業主の証明」を求める際に、これらの情報開示も同時に求めるようにしている。これらは事業主の責任に直結するものではないので、ほとんどのケースで事業主側が認識している情報に関しては開示が得られることが多い。もっとも、全ての事項について記載する必要はなく、不明の場合には空欄でも申請としては受理される。)
申請書を作成、提出する際には、必ず代理人として、委任状を付け、対象疾病の発症の事実、労災認定基準に則してそれが業務上災害となる旨の主張等を記載した補充書面を提出するようにしている。その際、添付資料(証拠)も証拠説明書のような一覧表を添付し、整理した上で提出する。
このように当初から代理人が就いていることを示し、労災認定基準(公務災害申請認定基準)に則した主張・立証を行う重要性は極めて高いと考えている。私の経験では、それにより担当の監督官との密な連絡が可能になる、主張や証拠を整理しておくことで、監督官の信頼も得て、認定に繋がっていっているという印象である。
申請後の代理人活動としては、本人に対する事情聴取や聴取書作成の立会い、事業主側に開示を求める証拠に関する監督官への働きかけ、調査状況等の確認などである
なお、近時の例では、精神疾患による自死事案において、こちらから連絡しなくても、監督官から定期的に毎月の進捗状況にかかる報告を受けることができた。(かかる方針は、令和7年度「埼玉労働局行政運営方針」でも「労災保険給付の迅速・適正な処理」として「請求人に対する処理状況の連絡等の実施を徹底します」と示されている。)労災申請後、認定まで1~2年程度の期間を要することもあり、労基署への情報提供の働きかけや依頼者への報告など、申請後のケアも欠かすことはできない。
②労働時間認定の現状
いわゆる過労死・過労自死事案については、特に労働時間の認定が非常に重要である。上記のとおり、必要な資料をできる限り揃えるのみならず、証拠等を引用した補充書面を提出すると共に、労働基準監督署が使用している労働時間の認定にかかるエクセルシート表を提出することも必須である。
ただ、東京労働局管轄の労働基準監督署を中心に、昨今においては、労働時間に関して、非常に厳格な認定をしている傾向にあると指摘されている。従前から困難な持ち帰り残業のみならず、移動時間の労働時間性などを含めて労働時間として認定されないことから、当然過労死等基準に達すると思われていた事案で、これを満たさないとして棄却される事案が散見されているとのことである。必ずしも労基法上の労働時間の認定と労災事案における業務起因性の判断に当たっての労働時間の認定が一致する必要はないはずであるが、罰則付の上限規制がなされた働き方改革関連法施行以降は、行政側において超過労働時間の認定に対する謙抑的な姿勢が見受けられる。
幸い埼玉労働局管轄においては、特段問題事例の報告はなされていない。特に熊谷労働基準監督署では、実質的な観点から適切な認定がなされている印象である。私が担当した事案でも、わずか数ヶ月で、過労死等基準を超える時間外労働があったとして、無事労災認定を受けることができた。
(2)公務災害申請~労災申請との違い
公務災害認定及び給付も基本的な考え方は、労災保険給付と一致するはずであるが、実態としては、手続面や認定傾向、支給内容等に相当程度の差違が見受けられる。
まず、労災申請と異なり、いきなり給付申請をするのではなく、前提として公務上の災害か否かの公務災害認定を要することとなる。(給付申請手続と並行して実施することは可能であるが、おそらく過労死等事案では公務災害認定を先行させることが一般的ではないかと解される。)
そして、公務災害認定を申請する方法は、所属部局長の承認を経て、任命権者経由で公務災害基金都道府県支部長へ申請をすることとなる。この点、「任命権者は,補償を受けるべき者から補償を受けるために必要な証明を求められた場合には,すみやかに証明をしなければならない」(地方公務員公務災害補償法施行規則第49条第2項)とされているが、実際上所属部局長や任命権者の段階で申請自体が止められてしまう例があり、最高裁が任命権者に対する損害賠償請求を認めるケースもあった(最決平成24年3月15日・東京高判平成23年9月14日)。私が担当した事案も、所属部局長の証明が進まないことから、事情説明書面と共に直接基金に請求書を送り、基金から任命権者へ指導をしてもらい、ようやく受理に至ったケースがあった。
公務災害認定についても、全く同じではないものの、労災同様の基準によるものである。従って、上記労災同様の代理人弁護士としての活動が求められる。もっとも、地方公務員の場合、審査を行う主体が同じ行政主体である地方公務員災害補償基金都道府県・政令市支部長(都道府県知事・政令市市長)となることが影響しているのか、労災認定よりも認定に関して厳しい印象を受ける。(なお、公務災害が認定された場合、休職中の給与は当初から全額支払われることとなる。)
(3)不服申立手続~審査請求・再審査請求
労災申請・公務災害申請が不認定となった場合、或いは認定されたが支給額に誤りがある場合には、同処分に対して審査請求・再審査請求をすることとなる。審査請求は、処分を知った日から3か月以内、再審査請求は、再審査請求にかかる裁決を知った日から2か月以内に申立てをする必要がある。
私は比較的労基署段階で認定を受けられることが多いが、審査請求手続で取り消し裁決を得た例もある。申立人代理人としての関与は、当初の申請のときと変わるものではないが、不認定を経た上での審査請求になるため、情報開示請求をして、不認定となる理由を調査復命書等で十分に確認の上で、的確な反論・反証をする必要がある。その際には、審査官に連絡を取り、追加面談を要請し、申立人代理人も同席する等の対応をすることが望ましい。
また、私は幸い労基署で十分な認定がなされることも多いが、労働時間が問題となる事案では、無事労災認定を受けられても、労基署の時間外労働の認定が不十分な場合がある。この場合には、労災保険給付額が適切ではないことから、給付認定額のみを争う審査請求を申し立てることとなる。
なお、公務災害申請における不認定処分も審査請求を行うことになるが、その際、地方公務員災害補償基金都道府県等支部審査会が審査を行うこととなる。公務災害申請は、上記のとおり労災認定に比べて厳しい印象を持っていたが、審査会委員には弁護士も選任されており、近時、生存事案(パワハラ事案)において、口頭意見陳述を経て、不認定処分の取り消し裁決を得ることができた。不認定処分となっても、審査請求での取消しを目指すべきである。
審査請求も棄却されてしまった場合には、再審査請求をするか、取消訴訟を提起するかの対応となる。これらは平行してすることができ、再審査請求では一件記録が開示されることから、私は審査請求で棄却となった事案は、全て再審査請求をするようにしている。残念ながら、再審査請求での取消しを得た経験はないが、再審査請求を申し立てることによって、取消訴訟での勝訴判決に結びつく資料を得ることができたという経験はある(東京地方裁判所平成20年1月28日判決(国・さいたま労基署長・ビジュアルビジョン事件:労働判例1190号23頁(参照))。
6 事業主に対する安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求
(1)交渉
上記労災(公務災害)申請手続のほか、それに加えて、事業主に対する安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求をすることとなる。交渉に関しては、私は割と労災申請と平行して、損害賠償請求をするケースが多い。その際も、上記証拠保全手続等で得られた証拠が重要となる。
また、労災認定が得られた場合には、必ずしも労災認定と安全配慮義務違反が軌を一にするものではないが、より強気で交渉をすることができる。私が経験した、ハラスメント自死の事案(業務上のミスに対する極めて過酷な叱責)では、証拠保全手続で事業主による本人への事情聴取の音声を得ることができ、通院歴もない事案であったが労災認定に繋がった。労災認定以前は、事業主側代理人は、一切事業主に責任はない、支払いも僅少な見舞いにとどまるとの態度を崩さなかったが、労災認定が出るや、すぐに和解の話になり、交渉段階で相当額の解決金を受けることができた。
(2)訴訟手続
交渉でまとまらない場合には、訴訟提起することとなる。遅延損害金は付くが、労災認定を受けている場合、遺族給付等は口頭弁論終結時まで損益相殺の対象となる。労災・公務災害を先行させるケースが多いと解されるが、安全配慮義務違反の方が、行政基準よりも実質的に広範囲で認められるともいえることから、安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求をメインとして位置づけるべき事案もある。(公務災害は不認定(取消訴訟含む)となったが、安全配慮義務違反が認められた事案として、東京高裁平成29年10月26日判決(労働判例1172号・26頁)・さいたま地裁平成27年11月18日判決(労働判例1138号30頁):さいたま市(環境局)職員事件)
昨今の傾向として、過失相殺を大幅に認める事案が多い印象である。特に過労自死事案では、業務上の要因以外大きな要因がないにも関わらず、何らかの被災労働者側(遺族本人含む)の事情を元に、相当程度の過失相殺がされてしまっているケースも見受けられる。私も、教員の過労自死事案において、月200時間を超える時間外労働が認められたことなどもあり、水戸地裁下妻支部令和6年2月14日判決は、市側の過失相殺の主張を全否定した。それにも関わらず、東京高裁では、一回結審をし、事前の心証開示が全くなかったにも関わらず、結審後和解において、相当な過失相殺が適切であるとの意見を主張し、地裁判決の判断枠組みを維持するために和解に応じざるを得なかった。電通事件最高裁判決からすれば、安易な過失相殺は許されないものと解されることから、今後も裁判所に強く働きかけていきたいと考えている。
以 上